人生の相棒。

 野生を離れたオオカミをいくら頑張って育てても、犬のように
はならないのでそうだ。

彼らは犬以上にランクを気にする。

王者の振る舞いは勿論の事、一度従う側になれば犬のような
フレンドシップではないそうで、卑屈なまでにそのランクを
意識するとか。

野生とはその様に彼らの行動を限定してしまう。

たとえ野生を離れて何世代に及んだとしても彼等に宿る
それは彼等にその様な態度を強いるのである。

当然と言えば当然なのかもしれない。

何故なら、集団で生き抜く彼らの行動の最も大切な部分、即ち
食料の確保は、狩をするにしても喰っている最中でも、周りに気を
配らなければならない。

子孫繁栄にしても、野生は彼等に厳しい環境しか提供しない。

生き抜くためには気が抜けないのである。

縄張りの保全。身の危険を与えるような敵への配慮。

それらは彼らを遊ばせるゆとりを奪いこそすれ、決して
甘やかしてはくれない。


他方、野犬化した犬を再び家畜化することは、簡単な様である。

犬は元来人と共に生きていける、才能を持っているのかも
しれない。

それはオオカミと比較した場合の事ではあるが。


だからこそ、我々人間は彼らを、犬をムヤミヤタラニ捨てる
訳には行かない。

興味が失せたからといって、保健所で処理してもらうなどとは
持っての外である。

そんな輩に人として、否生物としてこの世に生きる資格などない。

それなら、イッソのこと殺して食ってやった方がまだしも救われる。


彼らは人類にとって最も近しい相棒なのだ。


こんなに人に馴れ、共生をた易く行なえる動物など他には
いない。

人の気を診るにも敏で、感情も豊かで正しく相棒なのである。

愛しむべき相棒。

彼らこそが犬なのだ。